SOUND MUSEUM VISION

渋谷の地下に広がるこの巨大なスペースには、さまざまな表情があります。

DJ EVIL DEE

DJ EVIL DEE

90年代に、ティンバーランドブーツにカモフラといったHIPHOPスタイルを確立した一人でもあり、Black MoonのバックDJ兼プロデュサーとして、HIPHOPクラシックアルバムの1枚として金字塔を打ち立てた、”Enta Da Stage”をリリースした事によりその名前が一気に広がっていったEvil Dee。

Brooklynネイティブである、本名Ewart Dewgardeのおよそ30年以上にわたるキャリアの成功のスタートは、ピアニストでもあった彼の母親からの影響によるものだと言う。幼い頃には既にピアノをマスターした彼は、音楽に対する欲求がさらに深まっていき、バイオリン、ギター、ベース、オルガン、ドラムといった楽器を勉強した後、7歳にしてターンテーブルに向き合う事となった。彼の実兄であり、既にDJキャリアをスタートしていたMr. Waltに対抗してDJをスタートさせたEvil Deeは、すぐにその才能を伸ばしていき、高校生の頃にはカレッジラジオにゲストDJとして、または番組のサブホストとして呼ばれる事もあり、毎週カレッジに忍び込んだ結果、本格的にDJとしてのキャリアをスタートさせて行く事となる。

DJとして円熟が増したEvil Deeは、DJよりもプロデューシングに情熱を注いでいた兄とタッグを組むようになる。それはごく自然な流れであった。当時は2つのテープデッキを使用して、兄の莫大なレコードコレクションからビートを作成していった。「ビート作りは必然的だったんだよ。もしキミがDJであるなら、それは自動的にプロデューサーさ。もしキミがスクラッチしたり、ビートに強弱つけたりすると、それはビートを作っていると言ってもいいね」とEvil Deeは言う。

80年代後半は、ひたすら仕事に没頭し、各地のパーティーにブッキングされ、カレッジラジオや東京のラジオステーションでもプレイし、またDJだけではなくプロデューサーとしても彼の名前を広げていった。DJキャリアを始めてから約10年後、彼は新たな場所を見つける事となる。HIPHOPの伝説的グループ、Black Moonの立ち上げメンバーとしてグループに参加するようとなった。1992年、この偉大なグループの成功の為、一切のラジオ番組の出演を断り、その変わりにラッパーでもありチームメイトでもある5FTとBuckshotを引き連れ、Nervous Recordsとの契約を漕ぎ着けた。その後、共にグループのほとんどの楽曲を手がけ、後にビジネスパートナーにもなった兄のMr. WaltとDa Beatminerz Inc.を立ち上げた。

“Enta Da Stage”でのプロダクションワークの成功により、彼らのプロデューサーとしての地位は確固たるものとなっていき、Smif & Wessunのクラシックアルバム、「Dah Shining」の功績も彼らによるものだと言っても過言ではない。またこれがきっかけとなり、Busta RhymesからEminemまで多くのヒット作を手がける事となる。

90年代中盤、Black Moonのメンバーはそれぞれさらなるキャリアアップを狙う。その中にはEvil Deeのラジオ番組への復帰プランもあった。

1994年、HOT 97初となる野外モンスターイベント、Summer JamにWQHTの番組ディレクターSteve Smithから招待された後、Evil Deeのプレイを気に入ったSteve Smithはすぐに彼を雇い、毎週月曜日のMonday Night Flava Mixを担当させた。また物事にとらわれない考えをするEvil Deeは、いち早くネットストリーミングラジオ放送に目を付け、88HipHop.comのディレクターを務め、その教訓は自身のオン(オフ)ラインラジオ、Beatminerz Radioに活かされた。

2000年には、カナダのラジオ局やWWPRのMarley MarlとのFuture Flavasでプレイし、ラジオ業界で影響を及ぼしてつつあった彼らは、新進気鋭インディペンデントレーベル、Rawkusと契約し、2000年にBrace 4 Impak、2004年にFully Loaded with Static、続いてUnmarked Music Vol. 1をリリースした。

今日、Evil Deeはスタイルを変える事なくこの音楽業界に君臨し続けている。Black Moon、Beatminerzの一員として、グローバルにツアーを回り多忙を極める彼だが、最新のプロダクションワークスは、SNSにも対応したBeatminerz Radio上で確認出来るのでぜひチェックして欲しい。